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小松投手の通算100勝目を見た日

こんにちは、連投のGです。

一部の友人には昨夜のうちに事前にお伝えしてはおいたのですが
昨日のアナホリビーストの記事書いてゆっくりできるかな、と思ってたのですけど
昨日16時にアナホリビーストの記事で書いてた仕事の不手際が解消
29日から自宅の仕事が再開されるメドが経ったため
事態は急展開。


そうなると明日28日のお茶の水の通院から日程が埋まってしまう可能性が出たため

夕方からの私用を早めに済ませていき今朝ようやく私用をほぼ完了し
一旦寝ましたけど、やっと一安心して二度寝した
という・・・

全然「ゆっくり走ろう」になってないやん(泣)

・・・何はともあれ今ようやくゆったりできたので
明後日29日はPCを使う事がもう少ないとはいえ
29日の記事アップは微妙な事から一応、現時点で10月最後の記事をアップ
します。

今日の記事はそのスピードのネタになるのかな?

何か10月は月曜日となるとザ・サイザーの記事の清原選手デビュー戦
サビムシラーの記事の篠塚選手の疑惑のホームラン
Gが観たプロ野球の試合ネタ
になっていますけど

今日の記事も当初はベンゼン星人の記事を書いた日にアップしようとしたもの
篠塚選手の疑惑のホームランを思い出してた時に

「あれ?この試合も疑惑のホームランと同じ年の試合か?」

と思い出したもので5日ほどズレましたが書かせて頂きます。

その同じ年に観に行った試合
とは

1990年8月22日の神宮球場でのヤクルトVS中日、
小松投手100勝目を飾った試合でございます。


全国の中日ファンの皆様、大変お待たせしました。

小松辰雄投手は、まあ世代的にわかる方なら
ミカロンのCMでストッパーの牛島和彦投手とともにフケのかゆみを抑えるにかけて


小松「僕、先発、ミカロンで洗髪」
牛島「僕、抑え、ミカロンでフケを抑えます」
小松「抑えたいな、牛島」
牛島「抑えたいですね、小松さん」


で有名なあの小松投手なのですが、わかるかなあ、わからないだろうなあ、イエイ。

流石に100勝目の試合の映像は見つからなかったので
小松投手の80年代前半の投球をどうぞ。

◎小松投手のピッチング(1980~82年頃)◎




ストレートの球速150km超えてますねえ。
若い頃の最高速が154kmですからね。

打たれるとデカイですが・・・。
何せ小松投手は中日ドラゴンズ屈指の
速球派投手のエースだったピッチャー。

この映像の頃に球速を計るスピードガンがTVに表示された事から
小松投手は「スピードガンの申し子」と呼ばれておりました。

映像にもあるように近藤貞雄監督時代の
82年優勝胴上げ投手
にもなっております。

それから時が流れて1990年。

この頃の小松投手はベテラン投手となっていまして
球速は140km台に落ちたものの、
それでも先発ローテーションで先発投手の一翼として投げていました。
しかし、前年89年頃からスランプ状態で5回持たずに降板という状況が続き
勝利がなかなか取れず苦しんでいました。

そんなシーズンの夏。

父が会社で神宮球場のチケット、しかも中日戦を貰ってきてくれました。
中日戦はチケット売り場までGが行って買って観に行ってた
だけに
滅多にない中日戦をチケットで見られる絶好のチャンス!

サビムシラーの記事で書いたように1枚で2人観に行けるので
同級生の阪神ファンの友人に声をかけたところ
「是非、行ってみたいね」と意気投合。
8月22日は友人と相談して内野席の三塁側のバックネットにやや近い
上段の席に座る事にしました。


ちなみに一緒に行った阪神ファンの友人は
当時はもう引退してましたが大の藤田平選手のファンでして
(確かに藤田平はいいアベレージバッターでしたね
プロ野球は色々とこまなく観ている筋金入りで結構大人しい方でした。

早めに神宮球場に入ったのでスタメンの前に先発バッテリーが発表されました。

確か記憶では先発投手はヤクルト・郭建成、中日・小松辰雄。

郭建成は前年の89年にヤクルトの3人目の外国人投手として入団。
当時は2人までしか外国人選手の1軍入りは認められてなかった
ので
1年目は2軍で主に活躍して実績をつけ
2年目の90年はシーズン途中で1軍に上がって投げてました。
シーズンも終盤だったので長いイニングもいけると先発での登板
でしょう。

ヤクルトファンの親戚と大洋ファンの弟と3人で神宮球場で観た試合は
やはり中日の先発は小松でヤクルトは5人のリリーフ投手を繋げて勝って
非常に悔しい思いをした記憶のあるGは
「郭建成か・・・また繋いで勝とうというのかい!」と思いました。


まあ、ただ5人リリーフの試合の先発は
ベテランのサイドスローの金沢投手
だったのですが
今回はまだ未勝利の郭建成投手なら
小松も6回くらいまで投げてリリーフで繋げばいけるかも?
という期待
はありました。

ここで阪神ファンの友人がこう言ったのです。

「もしかしたら小松は今、通算99勝かもしれない、ちょっと自信ないけど」

99勝?もし友人の記憶が正しければ今日勝てば100勝じゃん!
中日ファンにしたら記念の試合になるじゃん!

ただ「自信が無いけど」という友人の言葉もあるので、
とにかく2人で始まった試合に集中して見る事に。
大きなオマケと考えればシーズン終盤の試合でも楽しめる
というもの。

勝負は郭建成投手が序盤に中日打線に捕まり2回持たずに降板。
勢いに乗った中日恐竜打線は一方的にゲームを進めます。
小松投手は打たれてきた6回くらいを最後に

まあ今回は大事に使っていくという事
流れを変えないようにという事でリリーフと交代。

終わってみれば中日のワンサイドゲームという展開。
リリーフ投手にセーブが付いてなかったと記憶
してるので
点数は覚えてないのですが4点以上は差が確実に開いてたと思います。

そして、このアナウンスが!

「この試合で中日ドラゴンズの
小松投手の通算100勝目となりました!
おめでとうございます!」


やったね!

花束を貰ってグラウンドで祝福される小松投手。
友人から聞いてたとはいえ、こんな記念試合を見れるとはGも驚きました!

その後、小松投手がどういうインタビュー受けてたかは覚えてません。
なぜならばGは友人にわがままを聞いてもらい
球場から中日の選手団が乗るバスへの移動通路へ2人で向かったから
です。

移動通路は橋みたいになっていたと記憶してますが
中日ファンが橋の下に集まっていました。

そして中日の選手が移動する中に花束を持った選手が!
中日ファンは小松投手に祝福の声をあげます。
Gも大きな声で祝福しました。


「小松、100勝おめでとう!」と。

101人目の100勝達成投手となった小松投手を見送り
2人は帰路へとつきました。

この90年くらいから勝ち星も出てきてスランプを脱出し見事に返り咲き。
88年まで第一線のエースだった意地を見せつけてくれました。


そして4年後の94年に小松投手は引退。
1978年から94年の17年
(実働期間)
122勝102敗50セーブ73セーブポイント防御率3.44、1418奪三振を残し
「スピードガンの申し子」こと小松辰雄投手は
中日ドラゴンズ屈指の速球派エースとして、
その名を刻んだ
のでした。


というのが、1990年8月22日の試合でした。

いかがだったでしょうか?10月は記事アップしない可能性もあるので
Gが実際観た試合を記事で読んで楽しめていただけたら幸いです、

特に中日ファンの皆様には。

さて今日の鉛筆画は5日間かかって今日ようやく完成しました。

といっても流用着ぐるみの特撮キャラなんですが
「スピードガンの申し子」という事でスピードと銃での起用でコレにしました。

小松投手の通算100勝目を見た日_c0040422_14123498.jpg


電脳警察サイバーコップに登場のデスロイドであるカノン・ハルコスです。

(長かったですが、ここらで一旦休憩します・・・)

(只今、落雷が発生しました。PC保護のため記事を一時中断します)

(雷雨がやみましたので記事製作を再開します)


記事冒頭の面に変更があるので、お知らせします。

記事の一時中断の間にバイト先から緊急の連絡が入りました。
どうもリリーフで出てるバイト先の夜勤の方が急病になってしまい
29日の夜勤に急遽Gが出勤しないといけなくなりました。

彼からは体調面や疲れの話をGも聞いてはいたので
大丈夫か?と話してはいたのですが
今日になって急病という形になってしまったようです。

シフトを29日と31日の夜勤をそれぞれ交換するという事なので
明日28日はお茶の水、29日、30日に夜勤となるのですが
29日の自宅の仕事も並行して行う格好
となりそうな事から、
かなり厳しい状況になってきました。

自宅の仕事は30日まで延びるのは
覚悟して欲しい
とGは店長さんに伝えましたが
急転直下の状況となってしまっただけに
乗り切れるかどうか・・・?


その変更のお知らせを書いた上でカノン・ハルコスの説明に入ろうか
と思います。

(ここで2度目の休憩に入ります・・・)

カノン・ハルコスは敵組織デストラップのハルコス軍団のデスロイド最終機。
ハルコス軍団では唯一、製造者である幹部デューウィン女史の
水晶玉型コントロール装置を必要とせず直接の命令で行動
できるが
反面、首領のフューラーと指揮官のバロン影山の会話を聞いてしまった
デューウィン女史の自身が人間でなくバロン影山が作り出した
再生人間であるという悲観から裏切ったため

(しかも他の幹部も全て再生人間、首領のフューラーまでもバロンが作ったものだった)
デューウィン女史がバロン影山に消された後、
バロン影山の指示でも動いてしまっているという一長一短の面
がある。

デストラップはミサイルを東京シティに発射したものの
偶然、実験中だった都市防衛バリアーに阻止された
ため
対策としてデストラップは幹部のプロイド博士に巨大メカ・攻撃用クリスタロで
バリアーシステムセンター破壊を指示

(自ら出撃したプロイド博士は死の直前に始めて自らが再生人間である事を知る
デューウィン女史にはこのカノン・ハルコスを使って
山本技術主任とマーズ
こと北条らが極秘で東京に向かうリニアモーターカーを
狙撃して破壊するよう指示
していた。

攻撃用クリスタロは撃沈、プロイド博士も敗れたためリニアカー狙撃が重視されるが
嫉妬心など全てが何者かに操られた気がするデューウィン女史は
リニアモーターカーに秘かに乗り込んでた
亡きライバル幹部エインシュタイン博士
の妹、
ビーストマスター・ルナに狙撃を伝えてしまう。
(なのでバロン影山に惜しまれながらも消されたのですがね)

武器は手にしたその巨大なカノン砲で最終二部作に出たカノン・ハルコスは
あっけないほどジュピターのサンダー・マグナムに敗れるものの
巨大なカノン砲は暴発してしまう・・・。


ちなみに1990年8月22日に該当する特撮キャラがいないので
スピードだけならマッハ・ハルコス、マッハ・オミノスもまだ起用してなかったものの
速いリニアカーとカノン砲の二面性からカノン・ハルコスに決めた
のです。

あー・・・明日のお茶の水では
今回の仕事面で担当医に怒られる
んだろうなあ・・・
また、しわ寄せだよ・・・今回は此れにてさっさと引き上げます・・・では。







「Gの仕事にポッカリとアナホリビーストの穴が開き」
「清原選手のデビュー戦・初ホームランを見た日」(ザ・サイザー)
「篠塚選手の疑惑のホームランを見た日」(サビムシラー)
「円谷プロ森島社長退任・1年間Gがブログでは直接書かなかった話」(ベンゼン星人)
by gun_gun_G | 2008-10-27 16:12 | 雑談
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