日本映画界の巨匠・市川崑氏逝く・もう1人の巨匠の夢を叶えた話

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こんにちは、Gです。

先日のロイ・シャイダーの訃報にも驚きました
昨日のボイラーデスパーの記事アップ後にこの巨匠の訃報を知りました。
昨夜は事情があって友人方のブログにはコメントできなかった
のですが、
まず日本映画界が誇る巨匠の訃報を書かせて頂きます。

映画監督で文化功労者の市川崑氏が13日、肺炎のため亡くなられました。享年92歳

んー・・・映画を観てる方なら必ずは鑑賞されてると思う市川作品。
Gとて「犬神家の一族」や「木枯らし紋次郎」、「古都」、「細雪」、「ビルマの竪琴」など
TVを含む数多くの作品を観てきました。
「東京オリンピック」という先駆的なドキュメンタリーにも取り組み
市川崑流の独特の撮影タッチや雰囲気作りはGも大好き
でした。
確かGの父も市川崑ファンで「ビルマの竪琴」を劇場で一緒に見たのは父ですし
何年前かはTVで「かあちゃん」を食い入るように観ており申した。
今でも「ビルマの竪琴」は観てよかったと思える映画のひとつ
です。(新旧含めて)
まあかなりお年を召されてましたので、この日が遂に来たか、という思いです。

もっとも、「ひいろお倶楽部@」はTV番組主体の特撮番組ブログであり
今回の市川崑氏の訃報は異例のように思われる方も多
いでしょうが
実は以前から映画ではあるものの書こうと思ってたネタがありまして
今回はそれを書いていこうかと急遽準備
しました。
こういう形で記事展開するとは思いませんでしたが・・・。

ここでもう1人の巨匠の名前を挙げておきたい。円谷英二氏である。

円谷氏は最近でも太平洋戦争時の映画フィルムが見つかってニュースになったくらい
市川氏同様に戦前からキャリアのある方
なのでありますが
1935年に円谷氏はJO映画製作の「かぐや姫」の撮影を担当しておりました。
円谷氏は晩年に温めてた2つの企画がありました。
ひとつは「ニッポン・ヒコーキ野郎」、
そしてもうひとつは「かぐや姫」のミュージカル幻想映画としての再映画化
でした。
1935年の時の事が円谷氏の頭の中に強く残ってたのでしょう。
しかし、ご存知の通り1970年に他界されてしまいます。
残念ながら2つの企画は幻となってしまいます。

それから17年の時が過ぎ・・・
「かぐや姫」は市川崑氏によって市川流の形となって映画化
されます。
1987年の「竹取物語」です。

上映当時はその独特の解釈で話題になったわけですが
月からやってくるお迎えの蓮の花形の宇宙船だとか)
この「竹取物語」は戦後初の「かぐや姫」劇場映画化という形となり、
ある意味ですが円谷氏の夢を市川氏が叶えた格好となったのです。

それで昨夜寝る前に鉛筆を走らせ当初はその宇宙船で行こうと思ったものの
珍しい資料がたまたま手元にあったので冒頭の南海の巨龍
となったのです。

昔話の通り、沢口靖子氏演じるかぐや姫が求婚してきた若い公家達に対し
無理難題とも言える要求をわざといって結婚を避けよう
とするのですが
そのうちの1人、中井貴一氏演じる大伴の大納言が要求に応じ
南海まで行って退治しようとしたのが、この巨龍
なのです。

ただ、この巨龍はアップ用とロング用とで形がちょっと違うので
頭はアップ用、首はロング用のミックスアレンジ
にしてます。

この記事が訃報記事になってしまったのは正直複雑な思いですが、
弔いとしては丁度良かったのかもしれません・・・。

市川監督、安らかにお眠りください、合掌・・・。


今日はこの辺で失礼します。

「病院へ行ってきましたPart116・ボイラーデスパーの攻撃を避け高熱も出ず」
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by gun_gun_G | 2008-02-14 12:07 | 特撮系
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