Gの病気の7年間を全て書きます・第2章/デビルスパイダーの章

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こんばんは、Gです。昨日の第1章で驚いたという方が結構いらっしゃるようです。無理もありませんね。今まで目の神経でずーっと通してましたから。それは嘘ではなく、今もお茶の水の病院の他に地元の大学病院の眼科へも行ってますし、常にチェックは受けてます。第1章のような深刻な状態は今のところは無いので、ご安心を。では第2章、Gが退院した後から話を進めていきたいと思います。

退院してからは別の担当医になり女医さんでした。休養を3ヶ月ほどしてから、まず短期バイトからスタート。状態も安定し始め、順調に行くはずでした。が、とある短期バイトでやや体調が不安定になってしまい、女医さんはすぐにバイトを辞めるようにと支持したのですが、Gの責任感と金銭欲から最後までやりとおしてしまったのです。そこからまた坂道を転がり込むように体調は悪化していきました。薬もドンドン増え始め、当時は父も仕事で出てたので、女医さんから休養を言われたために昼は実家で1人でいたGはリフォームされた白い壁や天井に病院にいるような恐怖を覚え、絵を描いて気を紛らわそうにも狂ったように描き続けて色をつけることもできず、タバコをガンガン吸うようになってパイポをひたすらしゃぶってたりしてました。また、鬱では仕事に就けないという体験談を患者友達から聞かされ、弟からもそれは公にすべきではないと言われ、病気に対して外にばらす危険性と恐怖感を勝手に抱えてました。その状態から再度バイトができるようになるためには治療2年目、つまり5年前の夏までかかりました。すぐクビになったりして大変でしたが、某テレアポのような大会社に入社でき、3年くらいいることになります。そこまで大きく前進できた背景には、それまでに入院を知らせてなかった友人たちに病気をオープンにした事にあると思います。それまで恐怖の固まりだったGは徐々に氷解していったようにも思います。ただ、その頃から薬の投与の増加で記憶力が段々と落ちてた気がします。その証拠に普通の方なら最長でも1ヶ月で終る研修にGは3ヶ月経ってもクリアできませんでした。電話対応は無理か・・・と諦めたところでPC関連部署が設立、Gはそこに誘われ、なんとか研修を抜けました。そこでは音楽をやってる方、まだ大学生でこれから就職活動する方、Gのようなデザイン関連をやってる方など様々な方と一緒でした。今考えればぬるま湯モードでしたが、そういった方々とよき会社の上司と親交を深めながら、なんとかバイトをこなしていました。しかし、担当医も変わり、まあその医師も女医さんなみにいい医師ではあったと思いますが、やはり調子を崩すと薬が増えると言う事が続きました。そんな中、Gはバイト先の先輩のバンドのライヴを見たりして、「すごいなあ」と思いつつ、音楽を聞きながらある思いが出てきました。「またデザイン関係の職につけないか?」という事です。Gはテレアポ会社に3年いたと書きましたが、実は3ヶ月くらいその思いにかられて、会社を一度辞めて実家の近所の広告兼印刷会社のデザイン関連のバイトとして転職?しています。やはり「自分のデザインでもう一度挑戦したい」という気持ちを抑える事が出来なかったのです。しかし、それは無理でした。体が追いついていかなかったのです。最初は求人広告の制作をしてましたが、薬などで頭が鈍って付いていけず、次に印刷デザインみたいなところでMACをいじってましたが、それも付いていけず、印刷機械の部署の人材が減ったために印刷機の部署と掛け持ちをし、もちろん、そんな事に対応するほど体が動かず、しかもとある方が誤解をして人間関係もまずくなり、偶然Gの美術学校と同じ出身の先輩がその会社にいて、心配して他の先輩と共に辞めるように勧めてくれて、残念ながら夢は消えてしまいました。再入院の話まで出たくらいでしたので、致し方ないことではありました。そして休養中にたまたまテレアポ系会社の飲み会に誘われ、そこで元上司に戻ってこないかと勧められ、お金は稼がないといけないし、一度やってた仕事だからと復帰した、という経緯があります。ちなみに近所の印刷会社はその後、倒産しましたが、この無謀な挑戦の結果、また薬が増えていってしまった事は言うまでもありません。病気に甘えてるな、と今は思いますが、この時期にそういった背伸びをしたのはどうだったか?と今でもそう思います。まあ、とにかくテレアポ系会社に戻ったGは薬によって少しずつ鈍っていく記憶力を認識しつつもテレアポ系会社で働いていくことになります。まだ先輩たちや同僚も残っていて、またライヴに行ったりといった生活に戻っていくのです。ただ、先輩扱いなので仕事の比重は重くなりましたが、それは社会全般にある事と気にしないようにしました。そんな感じで今から4年前になってのある日の事でした。Gは体調を悪くしても、やはり絵描きなのか、友人知人の展覧会へはリハビリを兼ねてマメに行ってたのですが、友人の個展へ行った際に友人の友人で出版社と知り合い、ちょうどその日は日韓サッカーW杯の日本VSロシア戦の日で、個展をやってる店で大いに盛り上がり、その日はそのまま帰ったのですが、その方から後日突然電話をいただきました。音楽関連の書籍で3点ほどイラストを描いてみないか?という内容でした。もう絵では商売する気は無かったのですが、Gの好きな音楽という事、友人の友人からのせっかくのご依頼という事もあり、その仕事を受けて3枚イラストを制作しました。書籍には3点とも載りました。続いて、とある画廊に行ったら、そこのオーナーにGはエラく気に入られまして、企画展に参加しないか?と誘われました。これもまた好きなCDジャケットのデザイン企画。Gは音楽をやってる先輩のバンドのライヴを見てて、先輩は好きな事を商売にしているが、Gの絵は趣味という事で割り切って活動しようと決意、こうして今に繋がる絵画活動を美術学校時代以来、再び始めたのです。

以上が第2章、1999年の退院後から2001年秋頃までの出来事です。また長文でかったるいでしょうが、どうかご勘弁ください。最後の第3章までお付き合いしてもらえると嬉しいです。

で、今回のイラストはジャッカー電撃隊の機械怪物デビルスパイダー。デビルバッター以来の機械怪物の登場です。昨日のうちに制作した新作です。薬にやられつつあるGという事で麻薬関連の怪人を起用しました。このデビルスパイダーは人間にドリームフラワーの薬草を注入して意のままで操れる。実はこのドリームフラワーは麻薬で注入された人間たちは中毒症状になり、犯罪も犯すようになる。このドリームフラワーを探索していた麻薬Gメンの中山と西崎はデビルスパイダーに殺害されるが、中山には弟・勝也がいて、彼は復讐のために敵組織クライムに潜伏していた。ドリームフラワーの中毒者の調査をしていたハートクインことカレン水木は勝也と遭遇、ジャッカーの指揮官・鯨井長官は勝也にクライムカンフーに参加させるためにカレンに勝也の特訓を命じ、勝也は見事優勝、製造工場に潜入して壊滅、デビルスパイダーも必殺技ジャッカーコバックに敗れる。武器は口から吐くクモの糸と毒液を注入する両腕。その両腕を飛ばす事も可能である。復讐に燃える中山勝也役は真田広之氏で、Gの記憶ではこれがデビューであったような気がする(当てにならない記憶だが)。

ここからお読みの方は下記の記事と昨日の第1章を読まれてからここをお読みください。でないと、さっぱり分からないと思いますので。それでは、今回はこれにて。

「病院へ行ってきましたPart8・眼科と眼鏡仮面!」
「VDT症候群」
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by gun_gun_G | 2005-10-07 20:43 | 病院系
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