Gの病気の7年間を全て書きます・第1章/扉仮面の章

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Gです。昨日の絵画制作ドクターストップの件ではかなり驚かされた方もいらっしゃる事でしょう。Gが今の病気になってから今月で7年目になります。目を悪くした事に関しては以前に眼鏡仮面の記事「病院へ行ってきましたPart8・眼科と眼鏡仮面!」で詳細を説明しましたが、重度のVDT症候群になった後は大まかにし書きませんでした。今は別に書く必要性がないと思ったからです。しかし、絵画制作がドクターストップの話が出てきた以上、遂にその時が来たか、という気持ちになり、ブログにも影響する事ですので、今回は予定を変更して、Gが目を悪くしたその後、どうやって今まで過ごしてきたかを書きたいと思います。病院系の記事とします。

7年前の夏に発症した緑内障、VDT症候群にかかった後もまだ小規模プロバイダで働いていたGは、おかしな現象に襲われていきます。さっき会った人の事を覚えていない、隙間なくスケジュールを埋めようとする、目に熱を感じるようになる等。Gの実家のリフォームで気が休まらなかった事もあったかもしれません。その時点でもやはりメインは目でしたので、眼科がある大学病院へ行きました。そこで眼科の担当医から「今の目の病状でそれが出るのはおかしい」という事になり、とある大学病院へ紹介状を書いてもらいました。地元の病院の看護婦である母にこの大学病院について聞いたところ、こんな返事が返ってきました。「そこは精神病院だ」と。なんでも以前に一緒に住んでた祖母のボケが始まった時にその大学病院へ行き、治してもらった事があったとの事。残念ながら眼科の他に精神神経科も母の専門外でしたし、まあ祖母が治してもらったならと少し気楽になりながらその精神神経科へ行きました。朝9時に受付して受診は16時とエラく時間がかかりまして、その患者の数の多さにビックリした事を記憶しています。最初の担当医はそのくらいの患者の数をこなし、著書まで書いているかなり優秀な方でGを診て「軽い症状だから」と初めて精神安定剤なるものをもらいました。その後に会社へ行ったら、Gのために会議を開く事となり、ちょうどその頃に上司が退職して人手不足になった事が仕事が過剰になってそういう症状が出たのだろうという意見がまとまり、Gはその月から休職する事になりました。始めは良かったです。貯金も少しだけありましたから、地方の友人のところへ行ったり、絵なんかを描いてたりもしました。しかし、必ず月末になると会社への、というか仕事量への恐怖心が出てくるようになり、次の月も休職なんて事がしょっちゅう起こるようになりました。当時Gは弟と2人暮らしで当然家賃などを払わねばならず、休職は給料が出ない決まりになってたので、一気にジリ貧状態になって家にこもりきり、しかも電車に乗ると脚がガタガタ震えて乗れない、自宅と実家をただ行ったり来たりするなどと症状も悪化の一途。年末は年賀状つくりで気を紛らわしたものの、年明けの出社では社長から「薬を飲まないくらいに治れば仕事しなさい」と言われました。薬の量も徐々に増えていっていたため、それは不可能でした。退職して楽になりたいと思うようになったところへ、さらに親から退職するなら転職先を見つけろと突きつけられたのです。もうその頃には退職も転職も無理なくらい意識は朦朧としていて、気分的には追い詰められた格好になりました。正直、自殺も考えました。退職したものの体調は変わるばかりか、転職先を見つけなくてはという親からの進言で更に悪化。もう優しくしてくれるのは当時の担当医だけになってました。もうダメだ、助けてくれ!その一心で当時の担当医に訴えました。自殺を考えてる事を伝えると当時の担当医は「入院しましょう」と優しく言ってくれました。もう鉄格子でもいい!違う場所へ行きたい!家族に入院の意思がある事を伝えると、やっと家族も分ってくれたのか、OKを出しました。退職した会社側もその事を知り、普通の会社ではやらないような書類の整理までしてくれました。精神病院の病室とはどんなところなのだろう?変な期待と不安を胸に感じ母と一緒に病院へ行きました。ところが、いざ母と病棟へ行ってみると鉄格子の部屋ではなかったのです。その大学病院は精神神経科ではかなり進んでいる病院で、鉄格子の重症病棟と開放的な軽症病棟とがあり、Gはまだ軽症に値するせいか、軽症病棟へと通されました。この軽症病棟は精神医療の一環として短時間の外出や面接が認められていて、施設も非常に明るいところでした。母もここならばと安心したようです。ただ、まだ不安だったのは担当医が外来と入院とでは違う医師がつく事。担当医は若い方、つまり今、診てもらってる医師に変わったのです。楽になった気はしましたが、今の担当医曰く「脚がガタガタ震えていた」という状態だったそうです。担当医たちがGに入院を勧めたのは分裂症の危険性があったからだったそうです。しかし、Gはまわりの患者さんとは明らかに違っていました。まず本が読めた事、そして、しばらくしてからですが、絵が描けるようになった事です。また分裂症特有の幻覚や幻聴もなく、Gは鬱でないという診断が下りました。そして2ヶ月で退院できる事も担当医から伝えられました。あの入院生活は正直楽しいものでした。様々な理由で来てた患者さんたちは基本的には皆いい人で話なんかも結構弾んだり、外へ出た時は散歩を楽しんだりしてました。今でも友達づきあいしている患者さんもいます。その頃クレヨンで描いてた絵も今までで一番リラックスして描けてたと思います。しかもGは担当医にも恵まれていました。大学病院ですからいろんなタイプの医師がいるわけで、性格上や診察の仕方で合わなかったり、人事異動で変わってしまって、また最初からやり直しなんて事もザラでしたが、Gの入院時の担当医は一貫してついてくれて、他の患者さんが羨ましがるくらいの適切な処置をしてくれました。入院治療の最終段階では自宅宿泊があるのですが、そこで不安定な面をGが出てしまっても、病院へ帰ると担当医がうまく修正してくれました。また入院中も眼科へは通ってたのですが、その目薬のうちのひとつが鬱症状を起こす副作用がある事も分かりましたし、遺伝の可能性がある事も分かりました。そんなこんなで半月ほど入院期間を延長はされましたが、3ヶ月弱で退院しました。2人暮らししてた家からもGは実家へ引っ込む事により、新たなスタートを切る事ができるはずでしたが・・・。

以上が第1章、1998年の目の故障になってしまった後から99年前半の出来事です。一応、文章を第3章まで記事に書きます。(なんか虎舞竜みたいだ)長文でかったるいでしょうが、ご勘弁ください。お付き合いしてもらえると嬉しいです。

さて今回のイラストですが、Gがコンピューターにやられちゃったという事で、秘密戦隊ゴレンジャーの仮面怪人・扉仮面です。「とびらかめん」と呼びます。イラストは以前に描いたもの。この扉仮面は鋼鉄コマンド部隊を使って、今で言うところのスーパーコンピューター・スーパーXを強奪し、そのスーパーXを貨物列車で輸送するために特殊な南京錠をしかけて、通称「封印列車」を警護する任に着く。このスーパーXを使って大量の人工衛星を東京に降らせようと企むが、スーパーXは善悪の区別がつかないのでメチャクチャに暴れだし、弱点である急激な温度変化に耐えられずに人工頭脳を残して崩壊。扉仮面は残った人工頭脳を顔の扉の中へ入れるが、扉仮面は人工頭脳に乗っ取られてまた一騒動となるという、やたら忙しいエピソードを持つ仮面怪人です。なお扉仮面のボディは後に鉄姫仮面に流用される。

最後にコメントのお返事が遅れててすみません。ちょっと昨日は気分的にできなかったので、落ち着いたら、しっかり書かせてもらいます。それでは、今回はこれにて。

「病院へ行ってきましたPart8・眼科と眼鏡仮面!」
「VDT症候群」
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by gun_gun_G | 2005-10-06 21:11 | 病院系
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