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安藤達己監督とGさん③スナック「NG」と円谷プロ

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こんにちは、2日ぶりのGでございます・・・。

昨日は御茶ノ水の病院へ行ってきたのですが
夏風邪を治さないと精神面などの悪い箇所も治らない、
しっかり休養を取って下さい、という診断
が下り
ピラザウルスの記事で貰った抗生剤も切れてしまって
最近は市販の風邪薬と生姜湯代わりのジンジャーエールで対応してた事から
昨夕にミラージュの記事であった自宅の仕事の電話がようやく来た事もあり
今日、久しぶりに近所のクリニックへ行って新しい抗生剤を貰い
幸い発熱が今日はない事から大人しく休養を取っています・・・。


ただ、関節痛と頭がボーッとしている症状が今日はあり、
そういった面で書き間違いとかを少なくするように
ちょっと今日の記事は早めに書き出してゆっくりと進めていきたい
と思います。


今日は伯父のバンジョーライヴの記事から始まり
こうもり男・岩井、ミラージュの各記事に続く
「安藤達己監督とGさん」第3弾を書いていきたい
と思います。

冒頭の理由により、記事文面におかしい面がありましたら予めお詫び致します。

さて、安藤監督のお誘いで伯父のバンジョーライヴを中座して
安藤監督が寄ってみたいというお店へと向かったGさん。


その道中でも

「この店はまだ頑張ってるんだなあ」とか
「この郵便局は昔、製糸工場だったんだよ」とか
「ここの焼肉屋、無くなっちゃったんだ!」とか
「ここら辺はまだ田んぼだったんだよね」とか

安藤監督はやたら松原団地駅近辺の事情に詳しいのですよね。

Gはてっきり比較的近所だから
安藤監督がこの周辺に詳しいと思っていた
のですが・・・

「このお店は今は俺の従兄弟がやってるんだ」

え!?とGも驚いてしまいました!

バンジョーライヴのある喫茶店「JUNE」から歩いて1分くらいの所にある
スナック「NG」(エヌジー)というお店だった
のです。

Gは20代の頃に伯父に連れられて来た事もある
昔からの落ち着いた雰囲気のスタイルを貫いている
松原団地では老舗中の老舗になるスナック「NG」。


「このNGは45年位前だったかな?美術スタッフと一緒に作ったお店で
当時は数坪しかない広さでさ、最初の4年位は俺もやってたんだよ。
それを従兄弟に譲って今のスタイルになってから35年になるかな?
だから店の名前もNGとしたんだよ。もう、しばらくぶりに来るなあ・・・」

なるほど!それなら松原団地駅周辺にお詳しい訳です。

早速、店内に入って安藤監督の従兄弟にあたるマスターとご挨拶。

「いやあ、近くの喫茶店で彼の伯父さんのブルーグラスのライヴがやっててね、
俺のファンの彼が招待してくれてね、
それで久しぶりだからさ、来てみたってぇわけよ」


そして、安藤監督やマスターの説明で

NG開店当時は最初にある柱までの広さしかなかった事、
今の壁と違い壁を美術スタッフで1枚の撮影写真をドーンと貼っていた事、
開店当時は看板に大きなカチンコがあった事、
柱を安藤監督と美術スタッフでいい感じに切ってみたら職人さんに怒られた事、
今は看板にはNGの他に平仮名とカタカナでも「エヌジー」と書いてある事、

などスナック「NG」の歴史を聞かせてくれました。

「ここならカラオケとかもない昔ながらのスタイルだから
落ち着いて話もできるからね」


確かにGも20代の頃に伯父に連れられた時は

「洒落た落ち着きのあるお店だな」

という印象が強く残ってるスナックだった事を覚えてました。

しかし、こんな近くに安藤監督ゆかりのお店があった事に
Gは驚きを隠しきれませんでした。


(今日は冒頭の理由から一度目の休憩をここで取ります・・・)

(6月24日PM15:47)

それで安藤監督は

「彼とはネットで知り合ってね、彼はアーティストだから
こういう作品まで俺にプレゼントしてくれてね」

とマスターにこうもり男・岩井、ガイロスのドット絵をお見せてくれまして。

「へえー、ゲームの仕事をされてたんですか、
昔のゲームはこんな感じの絵でしたよね」

とコンピュータをあまり得意としないマスターも感心して観て下さいまして。

ちょっと流石にGも照れくさかったですね。

けど、それだけ喜んでもらえるとありがたいです。

安藤監督はマスターにこうもり男・岩井と的矢忠役の原保美氏の
因縁めいた話をした流れ
もあって話は円谷プロの話となって行きました。

「俺はたまたま円谷プロで監督になっただけだから
俺には特撮というものは、よくわかりませんから」


今回お会いした中で安藤監督が何度かGにお話されたセリフ
である。

これは別に安藤監督ファンを幻滅する事を書いたのではなく
ごく当たり前の事を書いた
のである。

銀座プロ、松竹、CAGと助監督をされた安藤監督は
たまたま円谷プロに入って監督というポジションを得て
監督業をする事が出来ました。
Gだってそう。
Gも絵の勉強をしてたまたまゲーム業界を選んで光栄、コナミと落ちて
運よくアートディンクにデザイナーとしてではなく広告担当として採用されたから
結果的に3作品ながらゲームグラフィックを担当できました。

人間が生きているというのは放物線を描いてる事と同じ
であり、
それが歴史を学ぶという点での基本となるのですが
安藤監督が描いた放物線には円谷プロがぶつかった、
Gの描いた放物線にはアートディンクがぶつかった、
そこから人の歴史や出会いが生まれていくのであり、
そういう事を示したかった
のであります。

それは安藤監督のブログ
「安藤達己ブログエッセイ」をお読みになれば把握できる事であり

Gも資料などを持って行ってたとはいえ、
正直な話、特撮の話がメインにならずに
「人間・安藤達己」の話やG自身の話がメインになる、

と思っていたのも事実
なのです。
(その事はお会いした際に安藤監督に素直にお話しました)

だから、この時に安藤監督がGに

「××××って、よくファンから質問されるけど、
確かウルトラセブンの時は特撮に在籍してたよね?」

と質問される事があっても当然なわけ
です。
(もちろんGの知識の範囲内でご説明しました)

ただ、安藤監督はこうも話されてました。

「ただね、俺は製作者でGさんをはじめとした特撮ファンは視聴者な訳だ。
特撮ファンは知識は多いけど製作者側から見ると
『ちょっとねえ』というのはあるわな」


Gも短期間ながらゲーム製作者だけに痛いほど良くわかるセリフ
でした。
これはどうしても避けられない事なのですが
ドラマにしろゲームにしろ色んな人が感想を述べたりするのですけど
如何せん視聴者、プレイヤーである事には限界がある訳で

(Gは安藤監督がマスターに説明したように再放送世代のファンである)
製作側としては
「それはこういう事情もあるのよ、こういう意図もあるのよ」
と言いたくなる部分はどうしても出てきてしまう
のであります。

「でも、当時はね、こういったビデオやDVDなどの媒体が
後世まで残るとは作る側としては思ってないわな」


この安藤監督のセリフがドラマとゲームの大きな違いであります。
ドラマは今までVHSやDVDなど数多くの媒体で何度もリリースされてきました。
そして新たなファンを構築してきたという歴史があります。
ゲームの場合は大ヒット作でもない限りはそのコンシューマの寿命が終われば、
ゲームの新たなファンの構築もそこでおしまい。
移植という事をしても売れなければ、
やはりそこでおしまいという違い
があるのです。

(ここで無理せず二度目の休憩を入れます・・・)

(6月24日PM16:51)

ビールを呑みポテトとピザをつまみながら安藤監督の話は進みました。

「今の円谷の社長って××××だけど・・・」

「はい、確か帰ってきたウルトラマンの頃に頭角を現した方です」

「んー、俺はその頃、一旦円谷プロから離れちゃってるから知らないんだけど」

帰ってきたウルトラマンは昭和46年ですから
安藤監督は円谷プロを一旦離れた時期
であります。

「Gさんは再放送世代で特撮ファンだからわかると思うけど、
あの後のウルトラマンAの中盤で円谷プロはぽしゃっちゃったんだよなあ」


と、ポツリと安藤監督が話した後にこんな流れの話になりました。

「本来さ、社長になるのにも順序ってぇのが、あるもんよ」

「その事はGも色々とコメントだけにしておきましたけど、
あまりにも憤って1年後に一度、記事にしましたね」

「TYOの話だろ?」

安藤監督もベンゼン星人の記事はお読みになっていたようです。

Gもその記事内容を復唱する形でお話した後で安藤監督はこう話されました。

「円谷一、円谷エンタープライズの社長をしてた事もある円谷皐と
円谷兄弟で順々に社長になっていってさ、
それで急に円谷一夫へ飛んじゃったろ?」

「はい、そうですね・・・」

「本来はさ、円谷粲がさ、社長にならないといけなかったんだよ」

「それは仰るとおりですね」

ミラージュの記事でも書いたように円谷一氏の下で助監督を務め、
円谷粲氏が自らの下で助監督をしていた
安藤監督にとって感慨深いものがあるようでした。

「今の円谷プロもそういう形になっちゃったけどさ、
円谷プロはさ、色んな人材が離れていっちゃったからさ、
こういう事になっちゃったんじゃないかな」


「Gの大先輩の成田亨さんもそうでしたからね」

「うん、優秀な人材が沢山いたから。
それが離れていっちゃったから今の円谷プロみたいな形になっちゃったんだろうな」


とショートピースを銜えながら安藤監督はしみじみと仰ってました。


これは市川大河さんのブログ「光の国から愛をこめて」でも
市川さんは同様の事を書かれています。
ドンドン人材が離れていった円谷プロ。
その結果が今の円谷プロの体制になってしまっている。


安藤監督も同じ事を考えていたようでした・・・。

今回の「安藤達己監督とGさん」第3弾はここまでにしたい
と思います。

次回はその円谷プロを離れていってしまった
安藤監督ゆかりの人材についてを書いていきたい
と思います。


なお、一部人名をGが考慮の末、××で表現してる事をどうかご了承下さい。

またGが風邪気味ということもあり思い出せない部分も多少ありますので
思い出しましたら記事修正致します。


さて、今日は温存していたペン画を起用してみました。

ウルトラセブンに登場のカプセル怪獣アギラです。

このアギラはリッガーの記事を書いた際に
特撮系記事用にペン画で描いていたもの
ですが
起用を何度も考えていたものの機会に恵まれず
円谷粲氏の名前が出たこの記事でようやく起用する事を決めました。


(ちょっと頭がオーバーフロー気味なので、ここで三度目の休憩に入ります・・・)

(6月24日PM17:18)

すみません、ちょっと頭がボーッとして思い出せないので
アギラの説明に入りたいと思います。

アギラはモロボシ・ダンがウルトラセブンに変身できない非常時に登場する
カプセル怪獣の三番手として登場した怪獣
である。
角竜を思わせる頭の一本角が武器。
劇中では二度登場
しており初登場は第33話のリッガー戦。
リッガーと長時間の肉弾戦を展開させるもリッガーの長い尻尾に劣勢
となる。
二度目は第46話のニセ・ウルトラセブン
この時は背中に斑点状の模様があった。
いざ出撃したら相手がニセ・ウルトラセブンだったのでアギラは混乱
してしまう。
アギラの名前の由来は円谷粲氏の名前から円谷英二氏が命名した事で有名。
ウルトラファイトに登場したアギラも本編のアギラと同じ着ぐるみを流用
している。

なお以前、恐竜戦車の記事で参考サイトとさせて頂いた
「ULTRA SEVEN CRAZY FAN BOOK」
によると
当初、リッガーの相手のカプセル怪獣はウインダムになる予定だったが
視聴率対策のため急遽、新しいカプセル怪獣を登場させる事を決定させるも
時間的に余裕がなかったため退社した成田亨氏が円谷プロに残したデザイン画を
池谷仙克氏がフィニッシュワークをしてアギラがデザインされた
と書かれている。
実際に池谷氏のアギラのデザイン画は存在するが
それがフィニッシュワークによるものだったかどうかは
当時を知るものにしかわかりません。
その詳細については「ULTRA SEVEN CRAZY FAN BOOK」を
お読みになられると宜しいか
と思います。

ああ、やっぱり思い出せないので今週は週末に記事アップできるか不明な事もあり
重複しますが記事修正は思い出せたらにさせて頂きます。


また太字処理はGの風邪の休養のため後程、行います。

それでは、次回の「安藤達己監督とGさん」をお楽しみに。

(↑大丈夫なの?Gさん?)

今回は此れにて。


◎追記◎(6月25日PM23:16)

Gが記事製作時に思い出せなかった事を今日、思い出しました。
ウルトラマンAに関する話をされてた事でして
記事修正し追記としてご連絡させて頂きました。








「安藤達己ブログエッセイ」


「光の国から愛をこめて」(市川大河さんのブログ)


◎「安藤達己監督とGさん」の流れ◎
「伯父のバンジョーライヴは大盛況!(はぐれベーダー87)」
「安藤達己監督とGさん①こうもり男・岩井のドット絵と安藤監督のCD」
「安藤達己監督とGさん②トリプルファイター!」(ミラージュ)


「プロレスラーの三沢光春氏逝く・地元のGもただただ唖然・・・。」(ピラザウルス)
「お待たせしました!沖縄展示用ドット絵を公開します!(はぐれベーダー70)」(ガイロス)
「文化の日という事で2枚の鉛筆画の特撮イラストに関する話」
(猫の手さんの新マン、セブン、ベムスター、Gのプルーマ)
「ひいろお第30話:ウルトラタッチ」(ウルトラマンA)
「円谷プロ森島社長退任・1年間Gがブログでは直接書かなかった話」(ベンゼン星人)
「ひいろお第18話:ウルトラアイ」(ウルトラセブン)
「記事450件記念!リッガーの尻尾なみに長かった・・・。」
「本物よりも「ニセ」がいい・ニセウルトラセブン完成!」
「閲覧者総数50000人突破記念!恐竜戦車といすゞベレット天国!」


「ブルーグラス」


◎参考サイト◎
「ULTRA SEVEN CRAZY FAN BOOK」
[PR]
by gun_gun_G | 2009-06-24 14:51 | 特撮系
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