俳優・社会福祉活動家の牟田悌三氏逝く・・・日本を代表するお父さん

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おはようございます、2日ぶりのGです・・・。

やはり検査中の身である今の状況では
連投で記事を書くというのは、まだ無理
なようで、
記事を1つ書くとUSURAの記事でも書いた症状の中にもありますが
首や肩、関節が痛くなってしまって、
翌日は疲れて寝ている、という日々を送っています・・・。


それもあって明日までバイトがお休みである事から
1日余裕を持つ形で敢えてバッファローモンガーの記事から
2日後の今日、記事アップしておく事にしました。


というのも鋼鉄参謀の記事で市川治氏の訃報記事を書いた際、
ざんぶろんぞさんのブログを拝見した時に
もう1人の方の訃報も知ってGもショックだった、
と書きまして
昨日になってGにとっても簡単には済ませたくない程の大きな存在であり
やはりどうしても書いておきたいという気持ちが強くなってきて
去年のゲララチンの記事で書いた事をまた自ら破る格好にはなってしまいますが
本日も遅ればせながら訃報記事を書かせて頂く事にしました。


鋼鉄参謀の記事でも触れましたが
改めてどの方の訃報にも驚いたかといいますと・・・


俳優・社会福祉活動家の牟田悌三氏が
8日、虚血性心不全のため亡くなられました。80歳でした。



んー・・・牟田氏といえば名脇役でありケンちゃんシリーズの父親を
70年代ずーっと演じてらしてGもそのシリーズを見て育っただけに

(本放送と土曜日?の再放送枠の両方を見ていたくらいでしたので)
ショックであった事は言うまでもありません・・・。

牟田氏をGが初めてTVで見た印象は凄く怖い人、というイメージが強く、
実際、そういう役柄も数多くこなしていますが、
ケンちゃんシリーズのお父さんで10年くらいレギュラー出演されてるのを見て
「牟田さんって本当はこんなに優しい人なんだ」
という事を認識した記憶が強いです。

フジッコのCMなんか見てると牟田氏の顔を今でも思い浮かべます。
このCMも結構長く出演されてましたからね。

それくらい牟田氏は役柄を実に幅広くこなせる名脇役
であり
現代劇、時代劇と様々なジャンルの作品に出演されてました。
二代目中村吉右衛門氏(当時)の「鬼平犯科帳」が始まる際に
Gは凄く期待して第1シリーズ第1話から見た
のですが
その時も牟田氏が出演されてたのはよく覚えてて
初っ端から見て良かったと思った記憶も強い
です。

Gの勉強不足でありましたが
ナレーションも多くこなしていたのは知っていましたけど、
実際に子沢山の優しいお父さんであった牟田氏は
世田谷区のボランティア活動にも力を注ぎチャイルドラインの設置や
税金相談のラジオ番組も担当していた事を訃報を知った後に知りました。

最近TVでお見かけする機会が少なく残念に思っていましたが・・・。

ケンちゃんシリーズで多く出演された宮脇健氏は
「実の父親が逝ってしまったようだ」
と牟田氏の訃報に嘆かれたと聞きます。
宮脇氏も家庭に関しては苦労してただけに
心の中でずっとそう慕っていた
のでしょう。

日本を代表するお父さん、牟田氏が亡くなったのはGも寂しいです・・・合掌。

今回の鉛筆画なのですが牟田氏で特撮系となると
好き!好き!魔女先生のバルの声というのも演じていますが、

やはりケムマキケムゾウサイトのA-chanさんとリンクして
色々と仲良くさせてもらってますし、
特撮コメディードラマの金字塔的な作品でもありますから、
当然このキャラ
という事になるのでしょう。

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忍者ハットリくんに登場のハットリカンゾウです。

何か筆圧が不安定なため線がかすれてしまっているのと
今まで忍者の衣装はキカイダー01のシャドウ忍者部隊
星雲仮面マシンマンの伊賀の猿丸を描いた経験はある
ものの
(世界忍者戦ジライヤから起用したキャラでは純粋な忍者衣装のものはまだ起用していない)
ハットリカンゾウの衣装が黒くて非常にわかりづらく
第2シリーズの忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウの時の衣装は
これまた違うようなので、第1シリーズと第2シリーズをミックスした形にしました。

その辺はどうかご勘弁を。


(今日はここで一旦、休憩します・・・)

忍者ハットりくんは今でこそアニメのイメージが強いですが、
元々、忍者ハットリくんは実写で初放送されており、
しかも藤子不二夫氏の原作では記念すべき映像化第1号作品でもあります。
製作は時代劇を得意とする東映の京都テレビプロ、
脚本には服部半蔵名義で井上ひさし氏と山元譲久氏の連名で参加されたり等、
かなり豪華に力を入れて作られた作品
であります。
原作のイメージを崩さないためにハットリカンゾウはお面で顔を表現されており
若干ながら目の角度などを変える事で顔の表情を表現してました。
(ちょっと今から見ると違和感がありますが手法としては正解だったと思います)

ハットリカンゾウは伊賀の山奥で
左卜全氏
演じる老師・木曾仲経脳屁之斎斎(きそなかのりのうへのさいさい)の
伊賀忍者塾を無事卒業し武者修行のために山を下り町へ目指すものの
山奥育ちのハットリくんには町では初めて見るものばかりで不安を感じてました。
そこへ大好物の秋刀魚のの匂いに誘われて
ケン一少年の家へと入ってしまいます。
ハットリくんはそこでケン一くんという町で初めての友人が出来、
その夜に忍び込んできた泥棒を忍法で撃退した事から
ケン一少年の家に居候する事になる
のです。

牟田氏はこの忍者ハットリくんでケン一くんのパパを演じています。
いきなり居候としてきたハットリくんを見ても忍者の存在を信じない頑固者
ですが
(確かにいきなり来て「拙者は忍者でござる」と言われても対応に困るが)
小言をやかましく言ったり放任主義だったりと
頑固者の割には結構、多面的な性格の持ち主
でもあります。

この忍者ハットリくんは半年間の放送ながら人気を博し、
もちろん劇中でもライバルの甲賀忍者ケムマキケムゾウも登場しますし、
放送終了後も続編というか新シリーズとして
忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウが放送される事となるのです。
ジッポウはTVオリジナルキャラですが後に原作にも登場する人気振りでした。

(ただTVでは宇宙怪獣、原作ではハットリくんの幼馴染という設定)

4周年記事の後にまた訃報記事となってしまいましたが
牟田氏がレギュラー出演した昭和41年(1966年)モノクロ製作の
忍者ハットリくんは後の特撮ホームコメディー路線の金字塔的作品の1つ
であり
特撮史上でも重要なポジションにある作品であった事が
お分かりになるか
と思います。

それでは、今日はこの辺で失礼します・・・
今度はもう少しまともに絵が描けるようになりたいです・・・。






「もう少し時間を下さい・・・。」(USURA)
「何だかんだで「ひいろお倶楽部@」も今日で4周年を迎えました。」
(バッファローモンガー)
「声優・市川治氏逝く・・・永遠の美声」 (鋼鉄参謀)
「病院へ行ってきましたPart141・ゲララチンの目玉爆弾の眼圧ワースト2へ悪化」
「才女・岸田今日子氏逝く・あのJACとの関係」(シャドウ忍者部隊)
「病院へ行ってきましたPart73・自転車乗れずとも顔は穏やかに」(伊賀の猿丸)
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by gun_gun_G | 2009-01-25 10:26 | 特撮系
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